今日は、ミンファさんの身体表現のWSについて話すために、松田さんの事務所にお邪魔しました。
「国際法務オフィス」と聞いて想像していたものを見事に裏切ってくれました。まず、昭和の香りただようモダーンな建物に胸が高鳴り、学生時代の友人の下宿みたいな部屋にすっかりなごんでしまいました( ^^ )
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皆でチョコミントアイスを食べつつ、松田さんが、先日の「在」の話の続き。
” 日本人は「日本人が在日に抱くイメージ」に在日がナーヴァスになっているのでは、と思うあまり、それに触れないようにしてしまうが、実際に話してみるとそうばかりでもない。”
>というのも、多くの日本人にとって在日の存在は単なるイメージでしかないけれど、 在日自身にとっては当然「リアルな現実」と「単なるイメージ」がはっきりしている。
>これは考えれば当たり前のことのようでいて、実際に話してみるまでは実感として分からなかった。僕も話しているなかで「在日のイメージ」を笑いのネタにしているのを聞くと、現実は、政治的なモード(政治的に正しい/正しくない)ばかりでは動いてないよなと思うことがよくある。
>もちろん、すべてをネタで笑いとばせないことも承知でいえば、上に書いたような「イメージの堂々巡り」を一蹴してしまう力があったりする。
>「アート」が一見難しいテーマを扱うとき、そんな「笑い」に学ぶことも多いのかも …云々
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さて、今日の話題は
「身体表現のWSってなに?」でした
「身体表現のWSってなに?」でした
ミンファさんによれば…
” 身体や言葉を通した対話 ”
” 出来上がった作品より、何を感じ変化したかが重要 "
" その人が持っている何か、熱をピックアップし、 時間軸上にコラージュする "
" テーマは人が人を赦していくということ ”
松田さんは9、10月と仕事が忙しくなるということで、とりあえず8月までは一緒にWSをやってみようということになりました。
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ミンファさんの本職は身体表現ですが、
こうして日常的に話しているときの身の動きもなんだかいいですね(写真を沢山とってしまった…)。
で、興味深いのは、所作だけでなく言葉の選び方のセンスや細やかさにも、ハッとすることがあるということ。
身体表現と言語表現は、自分が意識する以上に結びついている。特に、自分も含めて一般に言葉の世界にウェイトを置いている人は、体が硬い人が多いように思う。
逆に田中泯のように、踊り手が優れた書き手であることは多い。
むかし読んだ、竹内敏晴の『ことばが劈かれるとき』でも探して読んでみるかな。
…それにしても、何故ぼくと松田さんなのか?
とは思うのだが、これは考えてもしょうがない。
選んでくれたミンファさん本人も「直感」と言ってるのだから。
またとないチャンス、WSを通じて感じたことをブログに記していきたい。
というわけで「また遊びに来ます」と思わず
言ってしまいそうなアットホーム感でした …( ´ –`)ゝ
…が、ここは「まつだ国際法務オフィス」です。あしからず
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