先日、具民和(構成・振付)、うちだかつこ、具民和、
そな、西瀧葉子(出演)による身体表現が上演されました。
ガラスの破片に導かれるように、
身体はゆっくり校舎を巡っていきます。
演者を追って鑑賞者が屋上にたどり着くころには、
「廃校」にあらたな息が吹き込まれるのを体感できました。
先日話した人は、アートが「システム化した社会のなかで、唯一、深呼吸のできる場所」だと言っていました。
“朝鮮学校の屋上”という、日本社会のなかで最も想像力の届かない場所で、深呼吸をしてみませんか?
次回、最後の身体表現は、
10日(土)14:00〜
* * *
さて、筆者の拙い表現力では
さて、筆者の拙い表現力では
魅力を伝えるのに充分でないので、
友人に感想を寄せてもらいました。
しかし民和さんのワークショップはそんな玩具のような活気ではなく、むしろ静かにしのびよる病や死を匂わせる不気味な生命感に充ちたものでした。
薄汚れた壁、剥げたタイル、掃除しても消えない小便の臭い、裏山の粗大ごみ。そうしたものに包まれた会場においてそれを綺麗にしたり隠蔽したりするのではなく肌をザラつかせるような音で舞台の幕を開けるというのが民和さんの選択でした。
当日参加していた人であれば皆、一連の舞台が死の匂いに充ちていたこと、それが恐怖や不安ではなくむしろ優しさを伴っていたことは感じえたのではないかと思います。
私は子供の頃に初めて親戚の葬式に連れて行かれたときに感じた奇妙な感じ、決して「楽しい」わけじゃないけれど何故か静謐で温かいものに触れたような感覚を思い出しました。」
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