模造刀が盗まれたことで話題になってしまった
ゴンチャ君、真部君、僕の男だらけの美術鑑賞会
「いまやらねばいつできる…」
「70、80は鼻たれ小僧」
でおなじみ平櫛田中(でんちゅう)
その田中の創設した田中賞を、ばりばりの現代美術家だと思っていた谷氏が受賞したということで、久しぶりに「これは見ておかねば」という気に。
しかも小谷氏は、ほぼ同世代
結論からいえば、小谷展を東京の森美術館ではなく
井原の田中美術館で観れたのはラッキーでした。
図らずも、彫刻の新旧対決を観戦することができたからです。
まず、期待していたポスターにもなっていた乗馬像(SP4)
んん〜。確かに細部まで丁寧に造りこまれている。
ただ、いざ実物に対峙したとき、事前に想像していたような迫力が感じられない…
なぜか?
筋肉の弛緩・緊張が伝わらないことが一つ。
あらためて全体を見てみると
武者は前傾姿勢で斬りかかろうとしているのに、
馬はほとんど止まっているため、人馬一体になっていない。
ところで、作品解説には
「楠木正成像と頭だけ西洋化した近代日本人、
認めたくない自己」とある。
ここでいう楠木正成像は、おそらく皇居外苑にある
作品(田中も師事した高村光雲作)のことだろう。
“現代美術” を観るには、やっぱり
こうした “コンセプト” を優先させるべきなのかぁ…
そんなモヤモヤを抱えたまま、田中作品の展示コーナーに移る。
作品についての予備知識や文脈がなくても
理屈抜きにぐいぐい引き込まれる。
「転生」鬼が生温い人間を喰わずに吐き出している |
寺ですれ違ったモモンガのような僧侶、
時代に取り残された江戸生まれの剣士、
世俗を離れた人たちが醸す哀愁や可笑しみに
田中のユーモアに満ちたまなざしを感じる。
50歳になるまで貧困だった田中は
息子を二人結核で亡くしている。
そんな苦労がユーモアを育てたのかもしれない。
鏡獅子の試作 |
平櫛田中の作品を見終わって、
小谷の展示場にもどるころには、
モヤモヤの輪郭もはっきりしていた。
「頭だけ西洋化した近代日本人、
認めたくない自己」
こうした解説は本人にとってどこまで切実なのか?
評論家むけのものではないのか?
岡倉天心に学んだ明治生まれの平櫛田中の時代、
西洋との対峙は現代と比較にならないものであったはずだ。
同世代の表現者に向けられた問いは、
結局、自分自身にもかえってくる。
井原の帰りの笠岡には小野竹喬の美術館がある。
西洋に遊学した竹喬を思い出しながら、
そんなことを考えた。
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