2012年5月4日

京都にて「ダイアローグ」を考える

先月、京都にて前回参加してくださった岡田さん、
ソン・ジュンナンさんと意見を交換してきました。

まず、元・立誠小学校でイベントを見学


その後、小学校から岡田さんのアトリエへ移動
お、おしゃれすぎ… 

協同の玄関です(念のため)



*** 近所の居酒屋にて

まず尋ねたのが、展覧会やシンポを織り交ぜた形式について。
ジュンナンさんは、新しい作家の視点を入れたりすることで、
「次回もこういう形式でいいと思う」
また、作家としては、より人と関わった作品を作りたいとの意見。

岡田さんからは、会場を分散させるなどいくつかの具体的な案とともに、
「ゆっくりやればいいんちゃう」
「何をダイアローグするかダイアローグする場でもいいし」と、
長年、隠岐をはじめとするプロジェクトに関わって来た経験を交えて
アドバイス頂きました。























お二人と話すうちに、
まだ2回しかやっていないイベントなのだから
焦って答えを求めなくてもいいか、と少し気が楽に。

「朝鮮学校ダイアローグ」の活動の意味は、いまの時点からの評価以上に、
回を重ね模索してゆくなかでしか見えてこない部分も多いだろう。

前回のイベントは、
各作家の表現やシンポジウム登壇者の発言など、
その一つひとつは多様な問題提起を孕んでいた。
…ただ個人的には「全体像がつかみづらかったのでは」と思っている。
「何を目標/ビジョンに活動しているのか?」
とよく聞かれるが、誰もが納得するような明快な答えはまだない。


* * * * 


記録集制作のために前回の対談(アーティスト、研究者、校長先生)
を聞き直すなかで「ダイアローグ」という活動への個々人の思い入れや
考え方の違いをあらためて感じた。


もちろん、そうした違いはあって当然で、
大事なのは、そういう差異をきちんと認識したうえで、
ダイアローグ=対話できるか、ということ。
まぁ、言葉にしてしまえば、当たり前のことのようですが…

自分にとって、この活動の魅力や意義がどこにあるのか、
このタイミングに、あらためて考えておきたいと感じた。

* * * * 

「何を目標/ビジョンに活動しているのか?」
個人的には、ゴンチャ君と現代美術を観に出かけたり、
在日の若者に混じってサッカーの日本対北朝鮮戦を観戦したり、
元校長先生と飲みに行ったり…
要は、このブログで書いてきたような
普通に暮らしていればあり得なかったことが、
日常の風景になると想像してみる。